犯罪多発都市で起こる共有地の悲劇 【首絞め強盗よ自分の首を絞めてどうする】

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」のことわざ通り、何事もやりすぎはよくない。
何の話かといえば、世界各地で日々行われている旅行者を狙った犯罪のことだ。

小銭をくすねる程度ならどうにか対処できても、そこに暴力が絡むと恐ろしい。強盗には凶器を使っての脅迫のほか、睡眠薬や首絞めで意識を失わせたり、ケチャップやツバをかけて被害者の注意を逸らす手口がある。命に関わる犯罪は論外だし、ツバを浴びたうえに金を盗られるのもたまらない。
旅行者は治安が悪いところは極力避けるし、強盗出没地域は特に敬遠する。怖いもの見たさや好奇心、武勇伝ネタが欲しいなどの理由で足を向ける人も多少はいるが、リピーターにはならず大抵は1回行けば終わりだ。
一方、強盗側にすれば、目に付いた旅行者を片っ端から襲えばそのときは腹が満たされるが、やがては獲物である旅行者が激減して飢える状態に陥り、自分で自分の首を絞めることになる。

このように、多くの人(強盗)が利用できる共有資源(旅行者)が、乱獲され枯渇してしまう現象を「共有地の悲劇」と呼ぶ。
また、個々の視点では望ましい行為でも、その行為が合わさった結果が各人にも全体にも望ましくない事態を招くことを「合成の誤謬」という。各強盗にしてみれば目の前の旅行者から根こそぎ奪うのが最も効率的なものの、もし全員がそうすると旅行者は誰も来なくなる。故に、強盗全体の観点では、旅行者を生かさず殺さずの状態に置いて長期的に少しずつ掠めとる戦略がよい。ただ、個人の立場で考えたら、自分の生活で精一杯で他の強盗など構ってはいられないのだろう。
旅行者相手の普通の商売でも、このエリアの宿に泊まると必ずトラブルが起きるなどといった悪評がよく聞かれる。こんな噂が立って客が減るくらいなら、まともな商売をした方がよほどいいと思うのだが、一時的にでも大金を得たいという気持ちがそうさせるようだ。

共有地の悲劇や合成の誤謬の解決策に、一律のルールを定めるとか強制力を働かせる案が挙げられているが、そんなことができるくらいならこんな犯罪は最初から起きない。強盗が生まれる背景にある社会問題なり経済問題をどうにかすべきだ。

ここで、捕食者の強盗を生物個体群、被食者の旅行者を資源(エサ)とし、時間の経過に伴う両者の数の変化を考える。
生物は制約が何もなければ増殖していくが、通常は時間の経過とともにエサの制約がかかり、徐々に増加が鈍ってどこかで限界値に収束する。横軸に時間、縦軸に個体数をとるグラフ(成長曲線)を描くとS字に見えるパターン(シグモイド曲線)がこの現象を表す。
即ち、急激な増殖で環境収容力を大きく上回る個体数に及ぶと増殖率を下げる力が働く(負の密度効果)。

強盗の場合だと、当初増加は緩やかだが、周りの成功例に触発されて加速度的に増えていき、それがあまりに多くなると旅行者が減り、強盗ひとり頭で得られる金品も減るので、どこかで歯止めがかかる。
その結果、強盗の個体数減少が期待でき、強盗が減って再度旅行者が来れば、エサが増えるため、今度はまた強盗が増える。あとはずっと、旅行者減、強盗減、旅行者増、強盗増の繰り返しのはずだ。

ところが、どうも実際はそんな風になっていない。そもそも強盗が減ったように見えたとしても、エサである旅行者が減ったのでそう見えるだけで、潜在的な強盗の数はそのままだ。被害が減ったからと少々旅行者が戻っても、すぐさま食われて、また誰もいなくなる。最終的に捕食者と被食者がごく少数ずつ存在する状態が予想され、現況も概ねそんな感じだ。あるいは肉食かつ草食で肉があれば必ず食らい付くが、なくても草を食べて生きていける生物が多数ひしめいているとも言えるか。
いずれにしろ、旅行者が訪問をやめても自律的には改善せず、やはり根本問題の解決が待たれる。

極端に犯罪が多かったり、不誠実な人ばかりの社会では、あらゆる活動が停滞し、無駄なコストが生じるだけ。強盗の側にしても、こんなことを続けたところで何も変わらないし、悪事を働けば結局は自分の不利益になると薄々気付いているだろう。

因果は巡る糸車。ツバかけ強盗よ天に向かってツバを吐いてどうする。