ついにやってしまった姓名逆転予約 【サンクコストの呪縛を解け】

ある初秋の晩、酒を飲みながら年末年始の旅行に向けて航空券の検索をしていた。

希望する目的地へは日本からの直行便がなく、経由地までのフライトは既に別手配で予約が済んでいて、その先を検討中のところ、よい条件のチケットが見つかる。こんなとき、ひと晩考えようなどと悠長に構えていると遅れをとるので、即座に購入へ進む。だいぶ酔いが回っていたため慎重に入力し、予約と決済が完了。

通知メールが届くと、すぐさま内容を確認。出発日も時間も価格も正しい。よしよし…と名前の欄に目を移すと、どうも違和感がある。MR.の位置ってここかしら?と、慌てて過去のEチケットと照合すると…しまった、姓名が逆だ。
ネットでの航空券手配に移行し始めた頃、いつか大きなミスをしでかすとは思っていたが、とうとうやりやがった。

まずは購入元にメールで問い合わせ、すぐにネットで同一事例を検索。先達は大きく2派に分かれる。
1つは何もせずに当日を迎え、ちゃんと乗れた人々でこれが最大多数。もう1つは間違えたチケットをキャンセルして新たに買い直した方々で、金銭的損失は当然それぞれ異なる。意外にも当初のチケットで断られたケースはない。

この結果をどう解釈すべきか。一般に搭乗拒否されるなんて少し恥ずかしいので、公開は控える方向のバイアスがありそうだ。
いや、ちょっと待て。他人の不幸は密の味(シャーデンフロイデ)というようにそんな体験こそ注目を集めるのだから、逆に少々盛ってでも発表するはずで、それがないのなら大丈夫ともいえる。一体どっちだろう。

翌日の返信メールは、やはり買い直すのが無難との回答。キャンセル条件は空港使用料が戻るだけで、6万円ほどの損失になる。さてどうしようか。

その前に次の有名な問題を取り上げたい。

あるコンサートを観に行くとして

Q1.前売りチケットを1万円で購入済みで、会場に着くとそれがなくなっていた。同じ席の当日券が1万円で売られていればもう1枚買うか?
Q2.当日券を買うつもりで会場へ行き、途中のどこかで所持金のうちの1万円を落とした(残金は十分ある)。予定通り1万円の当日券を買うか?

研究結果によるとQ1よりもQ2の方がYESと答える人が多いらしい。Q1では紛失と当日券の購入を直接結び付け、費用を2万円と見なすのに、Q2だと両者が切り離され費用は1万円のままと感じるためだ。だが、Q1もQ2も損失(サンクコスト、埋没費用)が戻らないのは変わりなく、最初に1万円の価値があると判断した以上、どちらも買うのが理に適う。

このように、サンクコストに縛られて不合理な判断を下す事象を埋没費用効果、あるいはコンコルド効果という。後者は旅客機コンコルドの開発が投下済みの巨額資金に縛られ、不採算事業と分かってもやり遂げた出来事に由来する。

私が直面した問題は上記コンサートの例と似ていて、キャンセルで6万円ムダになろうが、買い直す航空券の費用に損失額を加えてはダメなのだ。

ただ、チケット紛失と違い、私のケースだと搭乗できる望みはある。
さらに、損失による所持金(資産)の変化が人によりまちまちなのは勘案すべき。コンサートの例で言えば、小遣いを貯めた全財産が3万円から2万円に減った学生なら買い直しの断念はあり得るし、極端な話としてチケットの価格が1億円であれば、いくら1億円の価値を認めていても即座に買い直すとは考えにくい。
その観点から見ると追加の6万円は払えたが、一方で旅行に使う年間予算の上限に近い状態にはあった。また、経由地までは確実に行けるので、最悪、搭乗拒否されても予定を変えて、そこを旅すればよい。

以上より、散々悩んだ末に、このままで行くことに決めた。やはり損失確定の不快に耐えられず、結論ありきでそれを支持する意見ばかりを探したためだ(確証バイアス)。

で、どうなったか。
往路のチェックインでは緊張しながらも何食わぬ顔でパスポートを差し出す。係の女性は手際よくキーボードを叩いていたが、暫くして動きが止まる。まあ、そうなるよな。やがて事態を把握したらしく、「ちょっと待て」と告げて奥へと引っ込む。生きた心地のしないイヤな間だ。
数分後、責任者とおぼしき人が現れ、何故か帰りの日本へのフライト予約の有無を確認後、手続きが完了。良かった。ありがとう。

やっと一安心かと思いきやそうもいかない。ここで初めて触れるが、懸案の予約は往路と復路で航空会社が別々。つまり往路はOKでも、復路でNGの心配が依然として残る。その場合は帰国便に乗り継げなくなり、新たなリスクが生じたと言えるが、もう考えても仕方がないので忘れるように努め、旅を楽しみ最終日を迎える。

そして、いよいよ帰路のチェックインカウンターへ向うわけだが、飲み残しの酒を捨てるのがイヤで昼間から酔い、本当にこのことを忘れていた。例の如く係の女性がちょっと待てと奥に消えたところで、「ああ、そうだった」と気付いたが酔っているため緊張などない。予約時に酩酊状態で犯したミスの苦痛を酒の力で和らげており、これではまるで迎え酒だ。

戻った係員が「普段はこっちの名前を使ってるのか?」と訊いてきて、今ひとつ意味がわからなかったが「もちろんだ」という顔で肯くと搭乗券が出た。手間をかけて本当に申し訳ない。こんなミスはもう2度としまいと大いに反省。

どうにか無事に旅行を終えたものの、こんなのは単なる結果オーライだ。治安が悪いとされる地域に出かけて何事もなく済んだときもそうなのだが、引き受けたリスクの実際の大きさが測定できず、評価のしようがない。確率が不明なら最悪の場合の損失が最小になる選択(ミニマックス基準)をするのが妥当とも言われているので、本来は買い直しが正解だろう。

だからといって、もしフライトが(安くても数十万円の)今はなきコンコルドなら判断はさらに難しい。
ちなみに、カリブ海の小国バルバドスにはコンコルド博物館がある。