ゲーム理論における旅人のジレンマ 【キャリーオンなら問題なし】
「囚人のジレンマ」と呼ばれるゲーム理論の代表的なモデルがある。あちこちで紹介されている有名なものなのでここでは触れないが、似た響きの「旅人のジレンマ」という記述を書籍で見つけた。興味を持って読み進めるとおよそ次のようなこと。
別々の旅行者2人がロストバゲージの憂き目に遭った。荷物の中味は土産物で、偶然にも双方全く同じ物を買っていた。航空会社は補償を申し出るが、正確な値段がわからず、2人の申告額も信用できない。1万円から2万円の間であろうと見当をつけて、それぞれ個別に1万円以上2万円以下で申告してもらうことに。そして、2人とも同額ならその通りに補償し、異なる場合は低い方の額が正しいとみなし、両者にこれを適用したうえ、申告額が高い方に罰金千円を課し、もう一方には正直者の褒賞金千円を与えると決めた。
例)甲が2万円、乙が1万9千円の申告だと、いったん一律1万9千円とし
・甲:1万9千円 - 千円 = 1万8千円
・乙:1万9千円 + 千円 = 2万円
甲乙どちらにもこのルールが伝えられ、互いに相談し合うのは不可の状況のなか、彼らはいくらと申告すべきか?
最も常識的で無難な答えは、甲も乙も上限2万円を申告し、各々2万円の補償を受けるというものだ。
普通は、まずこう考えるだろう。
ただ、甲にしてみれば、乙の申告が2万円と予想できるなら自分は1万9,999円に下げることで、褒賞の千円が得られる。つまり、甲は2万999円、乙は1万8,999円の補償に決まる。
ああ、なるほど…。
これを受けて、乙の視点に立つと、甲の申告が1万9,999円と見通せるので、さらに上というか下にいき1万9,998円と申告すればよい。その結果、甲は1万8,998円、乙は2万998円。
まあ、そうなるか。としたら…。
以上のような読み合いがずっと続き、最終的には甲乙ともに最も低い申告額の1万円に落ち着く。
いや、わかるけど、そんなに下がるのか…。
ここまで来ない限りは、少なくともどちらかに現在よりも有利な状況が必ず存在するが、両者が1万円だと、もはや打つ手がなく、この状態をナッシュ均衡と呼ぶ。
理屈ではこうだが、ゲームのルールを説明後、実際にどうするかを尋ねた調査によると、半分弱の人が上限額(2万円)と答え、最低額(1万円)は2割ほどに過ぎなかったらしい。
そりゃそうだろう。
相手が2万円のことが多いのだから、自分もそれに合わすと2万円に決まる確率が高い。なのにナッシュ均衡は1万円だなどと調子に乗って中途半端な知識を振りかざすと、良くて1万千円(相手は9千円)に下がってしまう。危ないところだ。
また、これと似た次のようなゲームもある。
集団のメンバー全員に1から100までの中の数字を1つずつ選んでもらい、それらの数字の平均値を計算。そして、平均値の3分の2に最も近い数字を選んだ人にハワイ旅行がプレゼントされる。
ハワイ旅行を得るため、多くの人はまず平均を50と予測し、その3分の2の33を思い付くのだが、すぐに他の人もそう考えると気付く。であれば33の3分の2の22か。いや待てよ、みんなが同じ予想をするなら、さらに22の3分の2の…。ずっと繰り返すと答えはゼロだ。
この場合も先の例と同様に、全員がゲーム理論に明るいわけではないので、10から20あたりの数字を選んだ方がよいらしい。
話は旅人のジレンマに戻る。
なかなか面白い話だが、こんな補償ルールの航空会社などあり得ず、設定に無理がある。そもそも私はいつも荷物を機内に持ち込むため、こうした心配は無用だ。LCCの普及で今は荷物を預ける人も減っている。
では、バス会社ならどうかと、今までに乗った数々のバスを思い浮かべたが、補償を受ける場面が想像しにくいものばかりだ。向こうの不備でバスの腹に納められた私の荷物にガソリンが浸み込み、これを抱えたままタバコを吸うと引火するんじゃないかというときですら知らん顔をされた。
そこで、こんなストーリーに変えてみた。
旅先のある町で知り合ったジェーンとジョンは、交通の便が悪い郊外の村を数日かけて周遊しようとドライバー兼ガイドのドゥ氏を雇い入れた。1人当りの費用が300ドルに決まり、ツアーは順調に進んだが、行程の3分の2を過ぎたあたりで何と車が故障してしまう。たまたま居合わせたドゥ氏の知り合いの車でスタート地点の町に戻れたが、怒りに燃える2人はドゥ氏に返金を迫る。
後半に最大の見所があり、そこを泣く泣く諦めた2人はそれぞれに200ドル返金せよと強く訴える一方、ドゥ氏は車の故障は不測の事態で(実際こんな強弁をする人が多い)、予定の3分の2は消化したのだから100ドルずつが妥当だと応戦。全員が感情的になり、話し合いは平行線のままの状態が続く…。
解決策を見つけたのはドゥ氏だ。彼は2人を別々に呼び出し、こう切り出す。「OKわかった。では、100から200ドルの間のどこかで補償しよう。金額をいまここで決めて、紙に書いて署名しろ。もちろん200ドルでもいい。そうすれば、君らが決めた額のうち低い方の額を2人各々に払うよ。そのうえで、低い額を書いた方には50ドル加えてやるが、もう一方からは50ドル差し引く。それでいいかい?」と。
こんな感じでどうか。
まず、ジェーンもジョンも代金を後払いにすべきだったのだが、そこは本筋から外れるため無視して頂きたい(大抵はドライバーがガソリン代すらないと言うので、いくらかは先に払う必要がある)。
いきなりこんな提案をされても、最初は反射的に断るだろう。それでも交渉に疲れ、妥協する気持ちに傾いていたら応じてしまいそうだ。なにしろ2人が上限の200ドルを書けば希望通りの額が戻るのだ。
にも拘わらず、提示額をちょっと下げてプラスで50ドル得る手段を考え付くと、先に述べたような読み合いに陥る。
ジェーンとジョンの関係性も重要だ。もし、2人の間に友情なり愛情が芽生えていると互いを慮り双方が200ドルで思い止まるはずだが、ツアーの間に険悪になっていればドゥ氏の術中にはまる。
ドゥ氏の立場だと、計400ドル返す羽目になりそうなときに、この提案をしてみる価値がある。何なら100ドルの下限を取っ払ってもよい。
実は、こうした旅行者同士の利害衝突は珍しくない。
例えばジェーンとジョンが知り合う前にドゥ氏が2人を別々にツアーに勧誘して、最初にジェーンが強気の交渉で価格をかなり下げたとする。この場合、ドゥ氏は割引分を埋めようと、次の客のジョンにふっかける可能性が高い。逆にジェーンが十分な額を払ってくれていれば、ジョンは値引き交渉が楽だ。
しかし、時に利益相反が生じても総合的には、旅行者同士で協力し合う方が有利なことが多く、先の例なら事前に200ドルで固い約束を取り交わしておけばよい。
囚人のジレンマも旅人のジレンマも2人を引き離すのがキモで(非協力ゲーム)、この原則にしたがっているのか、現地ドライバーは旅行者同士の接触を嫌う。
個別の交渉で「他の連中には内緒だぞ」と口止めされたので、さぞや破格に安いのだろうとほくそ笑んでいたら、後に自分だけが高かったと判明したりもする。
ということで、キャリーオンでもそうでなくても、情報は共有すべきだ。
旅行者の皆さま、よろしければ、どこかの町で会った際は協力し合いましょう。