蝶舞う鄙びた村から観光地への変貌 【バンドワゴンを乗り換える】

世界には旅行者がつくりあげ、良くも悪くもその発展に寄与したと言えるような町がある。

豊かな自然以外は何もないところに、偶然ひとりの外国人が立ち寄ったことをきっかけに、口コミでぽつりぽつりと観光客が集まり出す。それを受け、当地の人が宿やレストランなんかのビジネスを起こし、いつの間にか知る人ぞ知る穴場になる。
やがて旅行者の間で「あそこがいいらしい」と評判になり、さらに人が人を呼んで徐々に観光地へと発展していく。

こうした現象にはきまって賛否両論があり、俗化によりかつての良さが失われたと嘆く声もあれば、そんなキレイごとは観光客側の勝手な言い分だとの意見も聞かれる。
この問題はさておき、注目すべきは、鄙びた村が観光地へと変貌を遂げた理由だ。

他の村ではなく、ここだという必然性はあるのか。
新製品の普及や暴動が生じるプロセスを描くときに用いる例をアレンジして考えてみたい。

時はカンボジアが内戦を終えたばかりの頃、バンコクはカオサンのゲストハウス街に100人の旅行者がたれこめていたとする。

その中の1人がカンボジアのとある村についての噂を耳にし、行ってみようと決意。周りの旅行者にも声をかけたが、誰もそんなところには行きたがらず、1人で向かうはめに。実際に来てみると素晴らしい村で大いに満足した彼は、カオサンの仲間99人にゲストハウス気付でハガキを出して知らせた(ネット普及前の旅行者の連絡手段はこんなもの)。

それを回し読みした99人の大半は興味を示さなかったが、1人だけ自分も行こうかなと思う者がいた。そして後に続く彼女もこの村を好きになり、同じように残りの98人にハガキを投函。

するとまた、98人のほとんどは気にも留めなかったが、2人も勧めるのだから良いところだろうと考える者が1人いた。やがて訪れた彼も甚く感動し、残りの97人にハガキを送付。

いま、ハガキを読んだ者が自分も後に続こう(n人が勧めるなら自分も…)と刺激を受ける先行者の人数を、その人物の閾値と呼ぶことにする。最初に1人で出発した真の開拓者の閾値はゼロだし、次の彼女の閾値は1で、3番目の彼は2だ。

ここからは非現実的なのだが、先の100人は閾値がそれぞれ1ずつズレたグループだと仮定。即ち、4番目以降は、閾値3の者が1人いて、4の者が1人いて、…最後の1人は閾値が99、つまり自分以外の全員が行って初めて重い腰を上げる(臆病あるいは他人には安易に流されない)人物だ。

そうしておいて続きを考えると、3番目の彼のハガキを読んだ97人のうち閾値3の者1人だけが影響を受け、次は閾値4の者1人のみが触発され…とドミノ倒しのように連鎖し、結局はカオサンの100人全員がカンボジアの村へと移動する。

設定を変えて今度は、カオサンの100人をバンコク市内のチャイナタウンにある旅社にそっくりコピーしたと思い描いて欲しい(実際は客筋が異なるが…)。そして3番目の彼のみ、その閾値を2から3に書き換える。よって、カオサンのグループは閾値ゼロから99まで1人ずついたのだが、チャイナタウンのグループだと閾値ゼロと1が1人ずつ、閾値2が1人もいなくて、閾値3が2人いて、あとは閾値4から99までが1人ずついる。
さらに、目的地をカオサン組が行った村の隣の村に移し、両村は旅行者には見分けがつかず、どちらを訪れても誰もが満足できると見なす。

チャイナタウン組で同様にシミュレートすると、2番目の彼女まではカオサン組と変わらずに進む。ところが彼女が98人にハガキを送っても、それを読んだ者は、3番目の彼を含む全員が閾値3以上なので誰も反応しない。したがってチャイナタウンを出たのは2人にとどまる。

カオサン組とチャイナタウン組の違いは、100人のうちのたった1人で、しかもわずかに閾値が1つ違うだけ。にも拘わらず前者が向かった村では観光客が闊歩し、後者が選んだ村は静謐さを湛えたまま。

100人という人数は、新たに観光地を生むには少ないが、村人の反応は引き起こせる。重要なのは初期状態の誤差で結果が大きく異なり、それを事前に検知するのは不可能で、事後の検証も難しいこと。

かくしてカオサン組の村は観光ブームに沸くのだが、旅行者とはワガママなもので、かつてのノンビリした雰囲気が失われたとか何とか文句をつけてブームから降りる人も出てくる。
観光客の数÷村のキャパシティ(宿の部屋数など)=混雑度 と定めた場合、この値に応じて行くかどうを各観光客が決めるとも考えられる。そこで、当該事象を「エルファロル・バー問題」という理論にあてはめてみたが、うまくいかなかった。
実際の旅行者は、まだ「発見」されていない村を追い求める人や、逆に観光地が醸し出す猥雑さを好む人がいる。さらに同じ人が気分次第で両方を行ったり来たりすれば、シミュレーションは困難だ。

今までずっと、様々な人がそのときどきの感性で好きなところを旅し、それを受けて当地の人々が反応して、人も町も変わってきたはず。
きっとこの先も永遠に、旅行者と観光地の無限のフィードバックループが紡がれていくのだろう。