イミグレ、チェックイン、保安検査場を前に思い悩む 【並んだ列は遅れる定め】

行列に並ぶことは誰にとっても苦痛だが、旅をする上でこれを避けて通るのは難しい。
タイトルに挙げた例のほか、各観光施設の入場や地元交通機関等、人であふれ返る場面に出くわす回数が普段よりはどうしても多くなる。

そんなとき、受付の数だけ行列ができる「並列待ち」では、どの列に並ぶべきかについて毎回誰もが頭を悩ます。
最近は、列が1つで先頭の人が空いた受付に進む「フォーク待ち」が主流だが、なかには当初1列なのに途中で並列待ちに変わるフォークの枝分かれ以降がやや長いものもあり、そこで係員が指示せずに自分で選ぶパターンでも並列待ちと同様の問題が生ずる(判断の影響は若干弱まる)。

行列に関する理論では、次に示す「リトルの公式」が有名で、まずはこれを並列待ちに応用しようと試みた。

待ち時間(分) = 行列の総人数 ÷ (1分間の)到着人数 

行列の総人数とは現に今並んでいる人の数を指し、到着人数は並び始めの最初の1分間で自分の後ろに何人並んだかを数えればよいらしい。つまり行列の長さはいつも同じで、受付を終えていなくなる人の分だけ新たに人が並ぶ(故に後ろに並ぶ人の数で計算可能)と考える。
こんな前提が成り立つのは、離発着便が多い大空港の特定の時間に限られるし、列を決めた後にどれくらい待つのか予想できても、列の選択の問題は未解決だ。

待ち行列には他にもいろいろと小難しい理論があり、コンピュータ通信の分野などでも活用されるが、どうも旅のシーンで使いこなすのは難しそう。
やはり頼るべきは経験則だ。今まで数多くの列に並んだ体験から帰納的に法則を見つけたい。

まず、誰もが思いつくのが列につく前に、既にいる人の数を数えることだろう。

その後は適宜、補正をかける。例えば飛行機のチェックインでは、家族連れのようなまとまって掃けるグループの場合、人数x0.5くらいのはず。また、超過手荷物で揉めそうな人がいたら、別をあたるのが賢明。

入国審査は人により所要時間のばらつきが大きく、予想の難度が高い。当該国のパスポートを持つ人とそれ以外の人の列が分かれていなければ、前者を0.6人程度で数えたいが、大抵は外見での判別がしづらい。入国審査官の視点で、いかにも時間がかかりそうな人の列を避ける方法も試したが、レイシャルプロファイリング(人種的外見に基づく判断)に陥りがちなので注意が必要。そもそも自分の方がよっぽど時間がかかったりするし…。

かくして、独自の法則を磨き上げるべく日々努めているのだが、実はこれを根底から覆す大問題がある。
「割り込み」だ。某国の入国審査の列で次のような事件が起きた。

深夜の到着で一刻も早い入国を望む私は、普段よりも慎重に見定めて、ここだという列の最後尾につく。列は順調に進んでいき、あと少しのところまで来たとき、なんと2列隣の列にいた女性が私のすぐ前の男性の前に移ってきた。
どういうことかというと、2人連れでどの列に並ぶか迷った折、とりあえず各自が別の列に並び、列の進み具合を見て有利な方にもう1人が合流する手口で、文句を言われたら「身内」と弁解すればよいとの計算が働いている。聞こえてくる会話で男女とも日本人とわかる。私個人の経験によると、この割り込み方は日本人に多い(なぜか海外限定)。これが他の国の人なら「何が悪いのだ」とばかりに堂々と割り込むのが大半で、だからこちらも直ちにクレームをつけるが(そして大抵私が負ける)、彼らのようにされると注意しにくい。それ故に悪質度が高く、ここは抗議すべきだ。

思い切って「すみません、さっきまであっちの列に並んでましたよね」と声をかける。即座に男性の方が、「ああ、じゃあどうぞ」と私を自分達の前に促す。いや、ちょっと待て。私はよくても、後ろの人達は確実に1人分遅れるわけで、独断で勝手に了承するのもおかしい。「そうだよな、みんな」といった面持ちで後ろを振り向いたが、そんな私の考えをよそに様々な国籍の人達は全くこちらに関心を示していない。

かといって、自分ひとり前に進むのも抵抗があり、「後ろの人にすれば割り込みですよね」と返答。すると、割り込みという言葉が癪に障ったのか、女性の方がもの凄い形相で睨みつけてきた。

じゃあもういいやと諦めかけたが、元々女性のいた列に男性が移るとのこと。この2人は一緒に行動しているので、それだと無意味に思えるが、なぜか事態は収拾し、前に並んだ人物が入れ替わった以外は当初と同じ状態に戻る。

ところが、順番が近付きパスポートを準備しかけた矢先、なんと窓口の係官が作業を中断し、奥へと消えてしまう。想定外のチャブ台返しだ。あの小競り合いは何だったんだ。
そうなのだ。私の選ぶ列ではこんな事象が実に頻繁に起こる。

この感覚は、トラブルの印象だけが強く残るという、サンプリングバイアスが原因の可能性がある。
行列ではないが、似た例を次に示す。

空港→市内の電車の時刻表

 
 時 
7 00 03 10 13 20 23 30 33 40 43 50 53  
8 00 03 10 13 20 23 30 33 40 43 50 53  

黒字が各駅、赤字が急行で各便とも毎時6本運行。各駅も急行も10分ごとの運行で、各駅と急行は3分、急行と各駅には7分の間隔がそれぞれある。この場合、時計を見ずにホームへ行くと、最初に来る電車が各駅の確率が7割、急行は3割だ(最初の10分で考えると、到着時間が0分過ぎから3分なら急行、3分過ぎから10分だと各駅)。したがって、急行待ちで各駅が来た際に「本数が同じなのに自分は不運だ」と嘆くのはお門違いだ。

以上を勘案すると、私の不満は被害妄想で、「トーストを床に落としたときバターを塗った面が下になる確率は絨毯の価格に伴って高まる」と愚痴るようなものか。

いや、冷静に今までの列ひとつひとつの記憶を呼び覚ますと、やはり目に見えぬ何かの力による嫌がらせを受けている。陰謀論は複雑な世界を単純な因果関係で理解させてくれるので、ついこれに依拠しがちだ。

しかし、こんなことを真顔で主張すれば、妄想やパラノイアの様相を帯びる。さりとて、もっともらしい物語を見つけてスッキリしたい願望は消えず、純粋の偶然や理由なく起こる事象を受け入れるのは人間にとって困難だ。

このようなときはもう、神の意志により定められたのだと理解するのが都合がよい。神意があらわれたとしてしまうのである。

そう考えて、穏やかな気持ちで改めて列を眺める。もはや入国が何時になろうが構いやしない。列を移った男性は既に順番が来て、てっきり件の女性がそちらに移るかと思ったが、意地になってるのか辛抱強く待ち続けていた。

そして、私は同じ列に並ぶすべての人々に心の中で詫びた。「私がここを選んだばかりに、神の采配で遅れが生じている…本当に申し訳ない」と。