海外旅行傷害保険と非対称情報 【プレミアムで「レモン」な旅】
以前は旅行の度にいつも加入した海外旅行傷害保険だが、いつしかクレジットカード付帯のものでよいと考えるようになり、縁がなくなった。この保険について、かねてから感じている疑問がある。
それは渡航先ごとの保険料の設定がかなり大雑把なことだ。今でこそアジア、ヨーロッパ等、エリアに応じて保険料に差がつくが、かつては目的地がどこであろうと同じ保険料だった(被保険者の年齢も無関係で、単純に保険金額や付保内容、旅行期間で決定)。国によってトラブルに遭う確率が違うのは明らかだし、医療にかかるコストの差も大きいのに。
これが例えば自動車保険なら、過去の事故歴や運転者の年齢条件等、保険料算出の根拠となる危険度をかなり細分化しているのだが、海外旅行傷害保険だとマーケットのサイズや統計データの量が不十分なためか、あまり進んでいない。
車に取り付けた機械で運転手の特性を測定し、それを保険料に反映させる仕組み(テレマティクス保険)に倣い、海外旅行傷害保険も旅行者の携帯端末の位置情報分析で保険料を決めることだってできるだろう。
ただ、そうなったところで、サントメプリンシペやガボンの旅と大数の法則は結び付かない気もするが…。
したがって今はまだ、コンゴ(2つあるうちのどちらでもよい)の大地を彷徨う旅とモーリシャスのビーチで寝そべる旅ではリスクが大きく異なるはずなのに、アフリカで括られて保険料は一緒。
また、加入者側は自分がどの国に行き、どんな行動をとるのかもわかるので、リスクの大きさを測れる一方、保険会社側は現状だとそこまで細かい告知を求めていない。
このように取引主体の持つ情報に差がある構造を「情報の非対称性」と呼ぶ。
中古車売買では、売り手は自分の車の品質について詳しい情報を持つのに、買い手にはそれがわからず、悪貨が良貨を駆逐し最終的にレモン(皮が厚くて中身が不明=欠陥品、役立たず)な財しか取引されない閑散とした市場になってしまうという例もよく挙げられる。
旅先でたまに見かけるアンティークもどきや宝石まがいなんかは、まさにそんな様相だ。
海外旅行傷害保険の場合、どこに行くにも保険料が同じなら、安全な国を訪れる人は不公平に感じるので、その結果、危険な国へ行く人の契約ばかりが増えそうだ。では、エリア内で相対的に安全(つまり保険料が割高)な国に行く人は保険に加入しなくなるのかというと、そうでもないようだ。これは多くの人が、必ずしも確率で計算した平均的な損得で判断せず、可能な限り不確実な要因を取り除こうと考えるから。
広く知られている通り、そもそも保険とは金銭面だけを見ると平均的には損だ。
例えば、ある国をある期間旅すれば統計的に千人に1人は5百万円の損失を伴うアクシデントが起きるとする。だったら1人当り5千円ずつ出し合っておけば、その1人を救える計算になり、この5千円を純保険料と呼ぶ(符号が逆のマイナス5千が期待値)。実際は保険会社の事務コスト等がかかるので、それら(付加保険料)を加えた保険料(営業保険料)が必要になり、仮に付加保険料が2,500円なら保険料は計7,500円で、500万円の損失を千人全員で均した5千円を必ず上回る。
でありながら保険が成り立つのは、0.1%の確率で500万円の損より、損は確定だが7,500円で済む方がマシと思う人が多いため。
対照的にギャンブルの場合、7,500円払って100%の確率で5千円が当るクジ(確実に2,500円の損)など誰も買わないが、0.1%の確率で500万円の当選に変えたら興味を示す人はいるだろうし、0.001%で5億円だともっと増えるはず。たとえ期待値がマイナスでも、一攫千金が狙えればプラスの効用を認める人は常に存在する。
保険とギャンブルがよく対置されるのは、保険の起源を辿るとギャンブルの要素が強い「冒険貸借」という金銭消費貸借に行き着くかららしい。これは貿易に必要な資金を借りて航海に出て、成功すれば比較的高い利息を付けて返済、失敗なら返済義務がなくなる制度で、果敢に海を渡ると金銭的に大きく報われた時代に成立したようだ。
冒険貸借を強引に現代の旅行にあてはめると、借金で旅行や留学をし、そこで得た知見を活かして就職や起業がうまくいったら高利の返済、それ以外は棒引きになる(期限も条件も明確な)出世払いみたいなものか。
気のいい飲み屋のツケではあるまいし、さすがにそんな金融商品は聞いたことがないが、人によってはクラウドファンディングであれば可能性がありそう。
翻って自分の旅を振り返ると、当然ながらいくら旅を続けたところで金銭的なリターンなど得られず、仕事に役立てた経験も皆無。むしろ失業へと導く側の存在で、経済的な面において、旅はレモン(役立たず)で時に辛酸なものだった。
にも拘わらず旅を続けて来たのは、十分な効用、プレミアムを感じたからで、それは海外旅行傷害保険の対象よりは冒険貸借の対象に近く、本来は酸っぱいレモンではなく甘いピーチに見立てられるべきだと解釈している。
願わくば、そもそも海外旅行傷害保険の対象になりにくい旅(※1)、即ち期間も目的地も未定の旅をしたいのだが、なかなか思うようにはいかない。
※1:実際は海外旅行傷害保険付帯のクレジットカードが役に立つ(利用付帯なら長期旅行でも対応できる)