3席占有を企図した2人組からの申し出 【合理的経済人としての振る舞い】

親しい2人が一緒に飛行機に乗る際、隣り合う座席をリクエストするのが一般的だ。

片やWeb上の座席予約では、3席連なるうちの間を1つ空けて、両端を取る方法が広く知られている。

 
 
A B C
 花子   空席   太郎 
 
通路

理由はこうだ。
2人の予約が済んだ後に座席を選ぶ人は、上の3席が次のように見える(O:空席、X:予約済)。

 
 A   B   C 

このときわざわざ、中央のB席を取ろうという人はおらず、大抵は通路側なり窓側で空席を探すので、先の2人は3席でくつろげる確率が高い。

もちろん、満席に近付くと間に他人が入り込む可能性は残るが、その場合は現場で中央の人にどちらかの席と替えてもらえばよい。中央から通路側か窓側に移動できるなら誰もが応じるため、隣り同士の予約と同様に2人並んでは座れる。つまり、ほぼノーリスクでうまくすれば3席使える。

こうしたやり方をどう思うかは人それぞれだが、あるとき私はこの座席交換の申し出を受ける側の立場になった。

1週間ほど遡る夜、急遽休みが取れた私は必死で航空券を探していた。条件に合うものを見つけて予約に進むと座席指定ができたため、日本⇔経由地⇔目的地の往復計4便分の席を選択。往路の日本→経由地のみ中央席だが、2時間程度だから問題ない。

当日を迎えて、出発便に搭乗。予約の中央席に近付くと、私の席を挟んだ男女が何やら親しげな様子だ。おそらく彼らは先の戦略を立てたのだとピンとくる。

多分、替わってくれと言うはずと見込んでいると、通路側に座る男性が土足のまま座席に足を上げて靴紐を結ぶ姿が目に入る。この程度が気になる衛生観念では旅などできないが、彼の席に座るのは何となくイヤだ。ここは中央の席で寝てしまおうと素早く考えをまとめる。

着席後、やはり男性の方から「すみません」と声がかかる。「僕ら、連れなので良かったらこっちの席に座ってもらってもいいんですが…」と言う。座ってもらっていいときたかと思いつつ、「あ、いやこのままで大丈夫です」と返答し、すぐにイヤホンをつけて深く目を閉じる。

ところが彼は諦めず、暫くするとこちらの身体を揺り動かし、どうしてもと頼んできた。固辞し続けて、彼女の前で男に恥をかかせるのは危険だし、ちょっと気の毒でもあるので、渋々承諾した。

そうまでして隣り合った2人だが、その後の彼らの間にほとんど会話はなく、どこか重苦しい雰囲気が漂っていた。原因は私が1度拒んだことだろう。いっそ最初に声をかけられた段階で素直に応じていればよかったのだ。何故こうなるのか。

ここで思い浮かぶのが最後通牒ゲームというもの。これは他人同士の2人にひとまず一定額の金銭をまとめて与え、一方は配分者の役で金銭の二者間での分配率を決め、もう一方は受益者の役で提案を受け入れるかどうかを決めるゲーム。受益者が納得すれば、その配分率で互いに金銭をもらえるが、断わると双方とも受け取り額はゼロになる。

例えば1万円渡されたとして、配分者が半々を提案し受益者が賛意を示せば各々5千円ずつ獲得し、配分者が9対1を提案し、受益者がそれは不公平だと突っぱねたらどちらも1円ももらえない。

受益者が合理的なら、たとえ9999対1でもゼロよりは優るので受け入れて1円をもらうべきだが、通常は自分勝手な行動に制裁を加えるため、小額の提案では拒否することが多い。これは一概に非合理的とも言えず、他者につけ込むスキを与えない行動は、長期的には自分を含む社会全体の利益にもつながる。だからなのか、配分者が人間ではなくコンピュータだと告げられた場合、受益者は不平等な提案でも同意しやすいという実験結果もある。

また、人間の脳は不公正な者に罰を与えると、性行為のときなどと同様に快楽物質を分泌するらしく、そのような仕組みなのは、現代はさておき過去のどこかの時点においては、黙って受け入れるよりも制裁を加えた方が進化的に有利だったからだ。

ちなみにこのゲームの実験で最も公平な提案が多かったのが、伝統捕鯨で知られたインドネシアのラマレラ村とのこと。もう一方の極端な例はペルーのアマゾン川流域で狩猟採集を営むマチゲンガ族で、相手への配分は僅か25%程度。それでいてあまり拒まれないのだとか。

おそらく私の心情は、このゲームで拒否するときの受益者と似ていたのだろう。

ここまで考えて、自分は中央の席で我慢してでも彼らに抗うのは、間違っているとの結論に至った。
今後、私が飛行機に乗る度に毎回この2人と会うならば、断る意味もある。彼らがこうした行為を控えるようになるからだ。しかし、我々はもう互いに隣り合う機会はなく、これは1回限りのゲーム。単純に目の前の自分の利得のみを追求するのが合理的。

けれども、そうしなかったし、次に同じことが起きてもおそらく変わらない気がする。

合理的経済人として振る舞うのは、かくも難しい…。で終わりたいところだが、この場合はただ単に私が精神的に未成熟なだけだ。