リクライニング、されるくらいなら、しなくてよい 【ドミノと逆に倒れるシート】
公共の乗り物に乗るとき、座席のリクライニングをしていいものか迷う人は多い。
「そんなの当然の権利」という主張や、「後ろの人にひと声かけるべき」とする反論、「話かけられるのがそもそも鬱陶しいので、どうぞご自由に」との意見まであり、正解はなさそう。
ひとつの目安は、すぐ後ろの人がシートを倒すかどうかだ。自分もリクライニングしながら、前の人に文句を言う人はいないはず。
座席の快適度を考えた場合、理想は自分が倒せて前からは倒されず、最悪は自分が倒せずに前からは倒されてしまうこと。
問題は残りのパターン、前席と自席が「両方とも倒れる(角度は同程度)」と、「両方とも倒れない」のどちらを好むかだが、これは人によりけりだ。
即ち、リクライニングするを「O」、しないを「X」で表すと次の二派(タイプA、タイプBと呼ぶ)に分かれる。
タイプA | タイプB | |||||||||||||||||||||||||||||||
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ここで、下記条件をすべて満たすなら、私はどうすべきか。
- 自席と同じ(縦の)列は満席
- 「後ろの人がリクライニングしているときに限り、自分もリクライニングできる」という暗黙のルールを全員が守る(最後尾の人を除く)
- 自席は最後尾(最後尾がリクライニング不可の機体の場合、1つ前を最後尾と見なす)
- 私を含む同じ列の人全員がタイプA(たとえ前の人に倒されても自分も倒した方が快適)
- 各人のリクライニング角度の差は無視
私は次のように考えるだろう。
前の人は私が倒したおかげでリクライニング可能になり、実質的に前記イ.の私と同様の状態になる。この人もその前の人(私の2つ前)のことが頭をよぎるが、前記ロ.からニ.の過程をたどる。
そして、その前の人は…と連鎖が生まれ、列の先頭に至るすべてのシートが、ドミノ倒しとは逆向きの動きで倒れるはず。
ここまでは容易に想像できる結果だ。
今度は、前記条件のうち4.だけを「私を含む同じ列の人全員がタイプB(自分が倒せぬ不快感よりも前の人に倒される苦痛の方が大きい)で、それを全員が互いに知っている(または予測する)」と変えてみる。
私は次のように考えるだろう。
となり、煩雑を極める。
そこで、まずは座席が列に自席ひとつだけという極端な仮定を置く(仮定-P1)。
すると、自席は最後尾なので当然リクライニングできるし、最前列でもあるため前席もない。故に私はリクライニングすべき。
続いて縦に1席増やし、座席が列に自席と前席の2席のみと仮定(仮定-P2)。
この配置で自席をリクライニングすれば、前の人は仮定-P1の私と同様の状態になる(倒せるし、倒されなくて済む)。故に前の人は必ず倒す。
…と私は先読みできるので、私はリクライニングせず、前の人が倒すのを防ぐべき。
では、もう1席加え、座席が列に3席と仮定(仮定-P3)。
これまで通りに進めると、自席をリクライニングすれば、前の人は仮定-P2の私と同様の状態になる(前の人が倒すと2つ前の人は仮定-P1の私と同様の状態)。故に前の人は倒さぬことで、その前の人が倒すのを防ぐはず。
…と私は先読みできるので、私はリクライニングすべき。
パターンが見えてきたが、引き続き1席足し、座席が列に4席と仮定(仮定-P4)。
自席をリクライニングすれば、前の人は仮定-P3の私と同様の状態になる(前の人が倒すと2つ前の人は仮定-P2の私と同様の状態、2つ前の人が倒すと3つ前の人は仮定-P1の私と同様の状態)。故に前の人は心置きなく倒す。
…と例の如く私は先読みできるので、私はリクライニングせず、前の人が倒すのを防ぐべき。
もういいと思うが、念のため最後に1席多くし、座席が列に5席と仮定(仮定-P5)。
自席をリクライニングすれば、前の人は仮定-P4の私と同様の状態になるので絶対に倒さない。故に私はリクライニングすべき。
6席以上でもこのパターンが成り立つのは、数学的帰納法で証明可能…なはず。
まとめると、同じ列の座席数が奇数のときはリクライニングし、偶数なら諦めるべき。
と、ここまでくどくど述べてきたが、「だから何だ」という程度の話だ。
条件4.の全員が同じタイプの仮定は非現実的だし、常に条件3.の最後尾の席を取るのも難しい。
しかしながら、さらに強引に押し進めた結果、「混んだ乗り物で、自分はリクライニグしつつ、前からのリクライニグを避けるには、奇数番目のなるべく前方の席を選ぶのが有利」との仮説を立てるに至った(あまりにも粗放のため過程は省略)。
検証に使えるのは、ある程度マトモな乗り物だけだ。途上国のバスや列車だと、リクライニグ機能は元々ないか、あっても壊れて機能せず、倒したが最後、極端に傾いて元に戻らなかったりする。
また、個人的な体験として、スリランカのバスで数席前にいた子どもが車に酔って窓の外に向けて放った吐瀉物が、バスの外を通り自席の窓から飛び込むという、苦く酸っぱい思い出がある。それ以来、揺れが多い乗り物では周囲を気にかける習慣が身についてしまい、こうなると、もはやリクライニング云々で悩む余裕はない。
したがって、私がこの仮説を試す場面は、主に飛行機に乗るときだ。
その場合も、有人カウンターのチェックインで「非常口か壁のすぐ後ろの足が伸ばせる席がいいのですが、空きがなければ、そこから数えて若い奇数番目の列で…」なんてリクエストするのは恥ずかしい。何か宗教上の意味でもあるのかと怪訝な顔をされそうだ。
結局、Webでの座席指定が無料なら「偶数よりは奇数番目がいい」くらいの控えめな適用に落ち着いた。
こうして今まで幾度も奇数番目のシートに身を沈めてきたのだが、自席を倒せて前席は倒れぬ回数が有意に増えたというような感覚は、残念ながら全くない。