おもてなしよりボッタクリが記憶に残るワケ 【インドに行く者、行かない者】

海外で現地の人々の歓待ぶりに感激したり、逆に不当に扱われて憤慨する経験は、旅の間ずっと繰り返されるものだ。
そして、ポジティブ/ネガティブ各々の出来事の回数や強弱が、旅や国の印象に影響を及ぼす。

人生全般に敷衍すれば、日々の生活で良いことも悪いこともあるなかで、総合的な幸福度が決まる。
このとき我々は暗い面に目が向きがちで、例えば思いがけず1万円を得た喜びよりも、図らずも1万円を失った辛さのほうが大きく、後者は前者の2.5倍にも及ぶという。これが100万円だと、プラス100万円はそのまんまだが、マイナス100万円はプラスで言うところの250万円に相応(貨幣の限界効用云々の話は無視)。つまり、世の中が公正で幸運と不運の量が等しくても、それらのブレ幅が広いと悲劇だ。

こうなるのは、痛みをしっかり覚えて、再び被害に遭うのを防ぐ個体が、進化の過程で生存に有利なため。
異郷の地を踏んだ際も、おもてなしを受けた嬉しさは(礼を尽くしたうえで)忘れていいが、ボられた悔しさは肝に銘じたい。

仮に旅がもたらす喜びと辛さが釣り合うのなら前述の通り、ブレ幅は狭いほど好ましい。なので、関わる相手が善人か悪人かの両極端よりは、少々冷淡でも無害の人ばかりの国を選ぶべき。であれば、ほとんどの旅行者は途上国を嫌い、先進国を目指すはず。

否々、そんなワケない。
私の経験では、すごく良いこととすごく悪いことのギャップが大きい国にこそ愛着を持てた。単に衝撃の強さが高い評価につながりやすく、トラブルで落ち込んでいるときの親切が心に沁みるのかもしれないが、おそらく多くの旅行者が感じる矛盾だ。

この謎は、心理学者のスキナーが行なった有名な実験で解明できる。
彼は、ボタンを押せばすぐにエサが出る装置を備えた箱を用意し、そこにネズミを入れて、空腹時にボタンを押す習慣を身に付けさせた。その後、ボタンを押すタイミングによって、エサがランダムに出る設定に変更すると、ネズミは満腹でも狂ったかのようにボタンを連打したという。
どうも物事を意のままに操るのは退屈で、時々上手くいくほうがハマるらしい。

ヒトも同様で、だからギャンブルやオンラインゲームの業界は、絶妙な確率の当りで客の脳をジャックし、射幸心を煽る。
もしも、ブラックジャックで100%勝つ方法を発見したら巨額の富を得るが、となればカジノでのプレイはもはや労働。精神の高揚はすっかり消え去る。それではダメで、真のバクチ打ちは(適度な)ブレを望む。

賭博中毒者は、たとえトータル損益がマイナスでも、たまの大儲けを求める。
旅の中毒者も、たとえ過酷で不快な道程の連続でも、たまの大満足を求める。
また、「冒険遺伝子」と呼ばれるDRD4-7Rなるものを生まれ持つと、新奇性を好んだり、あえて危険に身を晒すという。ギャンブラーとトラベラーは、やはり一脈通じていそうだ。

以上の観点で、世界をエリア別にざっくり眺めると、ヨーロッパの先進国はサプライズやハプニングが少なくローリスクローリターンで平板。東南アジアはローリスクハイリターンで投資なら理想的な状態だが、ブレ(=リスク)の小ささがむしろデメリット。中東や中南米はブレているようでいて、エリア内の雰囲気が日本人にとってはどこも似たり寄ったりで想定しやすい。アフリカは喜びに比べ、辛さの量が多過ぎ、言わばテラ銭が法外。
興味深いのがインドだ。イチャモンをつけつつも頻繁に赴く旅行者が目立つので、この国のブレは丁度良いはず。まるで脳科学の知見に基づくニューロマーケティングを取り入れたかの如く、いい塩梅で自然に吉凶が生起するのだろう。

「旅は麻薬」かどうかはきっと、インドに行くか行かないかで分かれる(あくまで比喩)。

ところで、旅でブレを欲するタイプは、人生全般でもそう願うのか?
もちろん、ジェットコースターに乗って浮き沈みの激しい生涯を送る方々はいる。しかし、凡俗の徒である私の場合、波乱万丈の一生は受け入れ難い。その反動か、旅ではしばしばブレを期待してきた。
今後も私は、何かに取り憑かれたネズミのように、航空券検索サイトでマウスのボタンを押し続けていく。